はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

Mr.Children『名もなき詩』と何とかなるさ精神

 

テストが終わって喜んでいられるのも束の間、レポート課題の嵐が到来した。

この嵐、この前の「ジャニーズの嵐」の活動休止発表並みに想定できていなかったので、自分のキャパシティを超える量のバイトを入れてしまった。

よって現在、だいぶパンク状態である。それゆえ、このブログ記事も質よりもとにかく投稿することを目的としてしまっている状況が続いており、昨日今日明日あたりがピークである。

 

そこで今日は、あまり深く考え込まずにまとめたいが為に、完全なる自分語りをしたいと思う。読んでもらう期待はそもそも皆無ではあるが、少しばかり自分の旅とも関係があるので、もしよかったら読んでもられると嬉しい。

  


 

自分は現在大学生という、人生の中でかなり自由度の高い時間を過ごしているのだが、数年前までは自分が望むような時間にするための権利を得るべく、大学受験勉強に勤しんでいた。話には全くもって関係しないのではじめに言ってしまうと、この期間は約二年(いわゆる現役と一浪)であるのだが、この期間はいずれもMr.Children、通称ミスチルをものすごく好んで聴いていた。

 

一番初めにミスチルを聴き始めたのはちょうど北京五輪NHKテーマソングにGIFTという曲が選ばれたあたりで言うなればミスチルの曲とは結構長い付き合いをしている訳だが、勿論ずっと好きな訳ではない。そんな中でどうしてミスチルを受験期に聴いていたのか、そのきっかけ自体はそもそも覚えていないだが、とにかくハマった。二年間の最後、ちょうどSMAPの解散騒動があった辺りまでは間違いなく毎日一番聴いていたはずである。

 

今回は、そんな受験期の思い出話を語りたい、訳ではない。

自分の中で今でも重要なポジションを占めている曲、「名もなき詩」について語りたいのである。僕はこの曲自身がめちゃくちゃ好きという訳ではないのだが、とある理由でいぶし銀の活躍を続けてくれているのである。

 

この曲をよく聴いていたのは、ちょうど2014年、自分年表で言うところの高三の秋である。この時期からはちょうど授業内容がほぼ終わって学年全体から受験モードがプンプンするようになってくる訳ではあり、自分の中でも将来について幾分かの迷いがあった時である。

 

そんな中でこの時期、世間の話題をさらっていたものがある。

それは、イスラム国に日本人ジャーナリストを含む男性二人が拘束された件である。

 

断続的にイスラム国が示してくる写真や動画が本物なのかどうか、二人の安否はどうなのか、日本政府はどのような戦略を立てて彼らの救出を目指すのか等々、とにかくニュースのトップはこんな話題で持ちきりだった。

正直言ってしまうと、はじめは自分の中ではこのような話題など無関係だと放っておいたのだが、最終的にジャーナリストの後藤健二さんの殺害動画が出された辺りになると、そのイメージが頭の中にこびりついてしまって全くもって離れない。受験モードに切り替えたくても、離しなくても離れない、厄介モンであった。

 

そんな中で「名もなき詩」には下のような歌詞がある。

 

君が僕を疑っているのなら
この喉を切ってくれてやる

 

図らずしてイスラム国のイメージとぴったりすぎた。

 

その結果、「名もなき詩」と「イスラム国が中腰で立つ日本人二人を殺そうとしているイメージ」が見事に結びついてしまった。

名もなき詩」を聴くと、死をすぐに連想するようになってしまった。

 

しばらくして、「名もなき詩」を聴くことを全くもってやめることにした。

 


 

それから1年間くらいはトラウマに似た感情から、あえて「名もなき詩」を含まないようなプレイリストを作るなりして対処していた。


しかし、浪人生活も佳境に迫ってくると、現役時代の当たって砕けろ精神を殆ど持てずに、ただただ疲れるだけの毎日が続いた。

 

そんな怠惰感と焦燥感の混ざる毎日が続く中、ふと「名もなき詩」を聴こうと思った。その理由は今でもよく分からないが、死を連想させるようになってしまったこの曲を聴くことで自戒の喝を与えようとしたのかもしれない。そんなこんなで聴いてみると、まず兎に角もやもやした、現役時代にはなかった自分の今の感情に対して、この曲の歌詞は大きく突き刺さるものであることを、一年のブランクのおかげで取り戻した落ち着きのもとで知ることもできた。


それと共に、何よりも大きかったもの、それは「生死」という究極の選択にある訳ではない以上、自分の今と未来は自由に満ち溢れていて、受験という壁にぶち当たることもそれを乗り越えることも、ただの人生の1ページに過ぎない、ものすごく些細なことをまじまじと感じさせられたことである。

 

いわば、自分の中での負の遺産が自分の人生の糧に変換されたのである。

  


 

 それ以来、何かしらの不安にぶち当たった時は、「名もなき詩」を聴いて、そんな不安など、即死することに比べたら何ということもない、と考えるようになった。

最近では、誰かものすごく将来を心配しているような周りの人間にも「別に死ぬわけではない」という、ある意味かなり無責任な発言をしてしまっている。が、本心なので仕方がない。無責任野郎にムカついたら、その時にはぜひ「名もなき詩」を聴いて、私の心を察してもらえると嬉しいです。