はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

AH1の時空間的アンバランスーアジアハイウェイを模索する(2)

 

昨日のブログからアジアハイウェイについて色々調べることにした。

気づいている人がいたら奇跡に近いのだが、実を言うと昨日のブログは20記事目の記念(という名の実験)として、初めて「ですます調」を使ってみた。

 

borderpass.hatenablog.com

 

限りなくしょうもない実験ではあったのだが、ですます調で無理くり書こうとすると、どうも調子が狂う感覚があったので、今日からは普通の「だ・である」調に戻したいと思う。

 

ちなみにこのアジアハイウェイシリーズも前触れなく何となく始めることにしてしまったので、何となくまとめる記事になっていく訳なのだが、まああくまでこのブログの目的は自分の中の反芻なので許してくれると有り難いです。

 

さて今日は何となく概要だけ押さえて分かった気になっているアジアハイウェイのうち、日本橋を起点としていて、かつアジアハイウェイの提案当初から計画が練られ続けている1号線(AH1)について考えてみたいと思う。

 


 

 

アジアハイウェイ1号線(AH1)のルート

国交省のホームページを基にすると、1号線のルートは以下のようである。

 

<日本>

東京・日本橋 – 福岡

 

(フェリー)

 

<韓国>

釜山[プサン]– 慶州[キョンジュー]– 大邸[テグ] – 大田[テジョン] – ソウル – 汶山[ムンサン]

 

<北朝鮮>

開城[ガエスン] – 平壌ピョンヤン] – 新義州[シヌイジュ]

 

<中国>

丹東[ダンドン] – 瀋陽[シェンヤン] – 北京[ペキン] – 石家庄[シジアズアン] – 鄭州[ゼンゾウ] – 信陽[シンヤン] – 武漢[ウーハン] – 長沙[チャンシャ] – 湘潭[シタンタン] – 広州[グアンゾウ] (– 深セン) – 南寧[ナンニン] –那号[ユーイグアン]

 

<ベトナム>

フーンギ – ドンダン – ハノイ – ビン – ドンハ – フエ – ダナン – ホイアン – ニャトラン – ビエンホア (– ブンタウ) – ホーチミン・シティー – モクバイ

 

<カンボジア>

バベット – プノンペン – ポイペット

 

<タイ>

アラヤンプラテート – カビンブリ – ヒンコン – バンパイン (– バンコク) – ナコンサワン – タック – メソット

 

<ミャンマー>

ミヤワディ – パヤジ (– ヤンゴン) – メイクティラ – マンダレー – タム

 

<インド>

モレ – インパール – コヒマ – ディマプール– ナガオン – ジョラバット(– グワハティ) – シロン – ダウキ

 

<バングラデシュ>

タマビル – シルヘット – カチャプール – ダッカ – ジェソール – ベナポール

 

<インド>

バンガオン– コルカタ – バーリ – カンプール – アグラ – ニューデリー – アタリ

 

<パキスタン>

ワガ – ラホール – ラワルピンディ(– イスラマバード) – ハッサナブダル – ペシャワール

 

<アフガニスタン>

トルハム – カブール – カンダハル – ディララム – ヘラート – イスラムカラ

 

<イラン>

ドグハルン – マシャード – シャブゼバール – ダムガン – セムナン – テヘラン – カズビン – タブリッツ – イヴェオクル – バザルガン – グルブラック

 

<トルコ>

ドグバヤジット – アスカレ – レファヒエ – シバス – アンカラ – ゲレデ – イスタンブール – カピクレ - ブルガリア国境

 

地図上に表示すると以下の赤線(+フェリーの青線)のようになる。

 

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引用:

Asian highway project

 

ちなみに自分も東南アジア・南アジアを通るユーラシア大陸横断ルートを制覇したいという夢を持っている。

それゆえ、AH1にも少なからずお世話にはなっている。

特に地名がずらっと並んだ上のルート表のうち、太字になっている場所は既に行ったor通った場所で、中国と東南アジアがその大半を占めているのだが、こうやって改めて確認すると、その道のりはまだまだ果てしなく、また、単に道を完成させたところで色んなリスクがあるのだなと改めて感じさせられる。

 

西アジアミャンマーのアンバランス

特にその問題の山積み感がひしひしと伝わってくるのが、イラン、トルコ、パキスタン、そして何よりアフガニスタン西アジアルートについてである。

 

これまで東南アジア・南アジアを通過する形のユーラシア大陸横断ルートにおいて、最も大きな障壁であったのは鎖国制を敷き続けてきていたミャンマーだった。

 

逆に言えば、その時代ではパキスタンアフガニスタンの方がまだ安全であったのである。

 

事実、「バックパッカーのバイブル」とも称される、デリーからロンドンまでのバスを乗り継ぎ旅を目指した、沢木耕太郎の『深夜特急』における1970年代の旅でも、アフガニスタン・カブールからイラン・テヘランへと向かっている。

 

また、その物語を映像化した1990年代後半の大沢たかお主演のドラマシリーズでも、アフガニスタンには入国できず仕舞いではあったものの、結局パキスタン国内を大きく旋回して、パキスタンの西半分を占めるバロチスタン州の州都・クエッタやパキスタン・イラン国境での撮影を完遂させている。

(この国境は猿岩石の「ユーラシア大陸ヒッチハイク旅」でも同様に通過できている。)

 

現在、バロチスタンの大部分が外務省の渡航安全情報にてレベル4に指定されていることを考えれば、当時はまだ今に比べれば平和であったことがうかがい知れる。

 

 

しかしながらアフガニスタンでの道路整備は、知っての通り長引く内戦やタリバンの台頭によって遅々として進んでおらず、現在でもAH1のアフガニスタン区間のうち、約半分は未舗装区間になっているようである。

 

またパキスタンでは既に2000年代前半には全区間が舗装されている状態であり、その効果が現れ始めようという矢先において、タリバンの台頭をはじめとしてリスク回避傾向が強まったことから旅客人気は乏しい状態が続いている。

事実世界的な旅行ガイドブックである「Lonely Planet」のアフガニスタン版、パキスタン版は、どちらも2000年代後半より出版されず、Amazonで中古販売されているのみであるし、またAH1ルート上でも、アフガン国境付近にあって文化的価値の高いペシャワールレベル4指定となっている。

 

しかし、そんな南西アジアの治安悪化を余所目に、長らく鎖国状態が続いたミャンマーでは、2013年よりタイ・ミャンマー国境の外国人入境制限が解除され、また昨年8月にはインド・ミャンマー国境もパーミットなしでの通過が認められるなど、依然少数民族との対立等のリスクは抱えているものの、徐々にAH1の実現とその恩恵を享受しようとする段階に近づいている状況にある。

 

indianexpress.com

 

そんなこんなでまとめると、

というなんとも言えないもどかしさが時と場合の状況によって残り続けている。

世界が一律して平和になり続けている傾向ではなく、アンバランスに良くなったり悪くなったりして、ただただ時間だけが過ぎていっていることこそが、もしかするとアジアハイウェイの認知度を下げ続けている理由になっているのかもしれない。

 


 

明日も引き続き、アジアハイウェイ1号線について、今度は東アジア・東南アジアを中心にまとめていきたいと思います。