はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

忽然と現れしミャンマー・インド国境リクワダル/ゾクワタル(Rihkhawdar/Zokhawthar)ーミャンマー・インドの旅(10)

 

大学が始まってなかなか更新頻度をあげることができませんが、とりあえず地道にまとめていきます。今日はいよいよ今回の旅の一大目的であったミャンマー・インド国境越えです。

 

マンダレーから国境を超えてインドのミゾラム州・アイゾールに到達するまでの記録は既に英語で下の記事にまとめましたが、日本語でより詳しく振り返っていきたいと思います。

 

borderpass.hatenablog.com

 

↓前回の記事。チン州・テディム(Tedim)について書いています。 

 

borderpass.hatenablog.com

 


 

いよいよ情報がほぼ皆無の未開の地、Rihkhawdarへと出発する日となった。

ちなみにアルファベットで打っているのは正確な発音が最後まで分からず仕舞いだった為である。周りの人たちの声の記憶を辿ると、確かリクワダルだったような気がするので、表題にはそのように示したが、如何せん曖昧なので誰か確認を取ってほしいところではある。

 

出発前夜にCiimunai Guesthouseの若旦那に国境までのバンに乗りたいと尋ねたところ、「カレーミョからの中継地点としてテディムが存在する為、テディムから国境に向かう際はカレーミョからのバンが昼に到着することを待つ必要がある」とのこと。

「11時ごろにバンの乗り場に連れて行ってあげるのでそれまでに身支度しておいて」と言われたので、若干半信半疑ではあったが準備だけして宿の溜まり場で待っていると、きちんと10分前にヘルメットを被った彼が現れた。どうやら本当に送ってくれるようだ。テディム自体そこまで広くはないとは言え、これは本当にありがたい。(しかもタダ!)

 

バン乗り場はKBZから歩いていけるくらいの距離にあった。が、そこら辺の屋台小屋通りの一角にあり、自力で見つけ出すのはなかなか厳しそうなところにあった。

到着して少しすると屋台主らしき男性が現れた。ミャンマーにありがちな笑顔で出迎えてくれたのだが、結構歳を食っていて歯がほとんど抜け落ちていた。料金は9000チャットとのこと。カレーミョからテディムまでの7500チャットと合計すると16500チャットで、カレーミョから直接国境まで向かう場合よりも1500チャットほど高い設定ではあったものの、これくらいは全然許容範囲だった。というか、許容するしないの話ではなく、これしかないからこれに乗るしかないのだが。

 

乗り場に到着してしばらくは屋台主のおっちゃんとずっと待っていた。お客らしき人間はちょくちょく来るのだが、少し待った後にどこか行くみたいなのが繰り返された。これはもしかするとバンが来るまでそれなりに時間があるのかもしれないと勘付くと、ちょっと近くまで歩いてみることにした。勿論、英語もろくに通じない世界で変に置いてかれるのも困るのでせいぜい5、6分で戻ってこれるような場所までであるが。

テディムのいいところは山々の遠景がいくらでも楽しめるところだ。テディムは山の稜線沿いを切り開くように縦長に広がっているので、まちの両脇には崖が広がっている。僕はそこから見えるポツポツと存在するこじんまりとした集落や、旧日本軍が切り開いたというダーティな道を見てはノスタルジックな感傷に浸るモノマネを前日からしていた。基本的に観光要素というものが乏しいテディムでできる体験と言えばそれくらいなので仕方がないのである。

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「エモい」道

この時もそれなりに感傷のようなものに浸ってはいたが、しかしバンの到着を気にしないといけないというタスクのせいで、あまり放ったらかしな気分のままでいることができず、ややもどかしさもあった。

前日にカレーミョから到着したのが丁度12時20分くらいだったという事実をもとに、何となく12時くらいに戻ると、やはりバンは到着していなかったが、お客がそれなりに集っていたのでもうそろそろなのかと感じ、そこに居座ることとした。

そこから待つこと40分。漸くバンが到着した。前日に来た時よりも既に乗っている客が多く、結局一番後部座席の真ん中という席しか空いていなくて早くそこに乗れとの事だったので、窓から景色を眺めたい欲を抑えつつ急かされるままに乗車した。(前述の通りRihkhawdar行きを待つ乗客は勿論もっといたのだが、一番初めから待っていたからか、それとも外国人だからか、優先的に案内されている感があったので、そこで席を渋るような真似は流石にできなかった。 )

 

乗車して間も無くして、バンはテディムを出発した。テディム周辺は比較的舗装状況が良いのだが、それもせいぜい5分くらいの話であって、暫くすると昨日と同じような道へと様変わりした。

しかも、Rihkhawdarまでの道は昨日よりも明らかに急勾配な上りであった。明らかに重量オーバーなバンはせいぜい20km/h程度のスピードしか出すことができない。時より下ってくるトラックが時よりスピード全開で突っ走ってくるし、それに加えて乾季だったせいで砂埃が尋常じゃなく、ホワイトアウト状態になることもしばしばあり、本当に大丈夫なのかと不安になることも多々あった。

バンは途中に何度か停車した。そのうち一回は前を走っていたバンの故障に対する手助けみたいなものだった。マンダレー・カレーミョ道中でのバス故障でも同様だったのだが、やはりレッカーなどという概念など早々ないこの地域では車両の故障が起きたら相互に助け合うというのがほぼ当たり前なようだ。しかも凄いのは三人集えば文殊の知恵とばかりに、時間は掛かってもある程度まで修理ができてしまう点だ。日本ではたとえ人間が集まったとしても所詮野次馬でしかないだろう。この辺りの「生きていく知恵」というのにはつくづく関心させられる。

 

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修理が終わったのちに再びバンは走り始める。しかし相変わらずのノロノロ運転である。そんなことが長らく続いているうちに、段々とあることが気になり始めた。

国境の閉鎖時間、である。

もう一つの国境チェックポイントであるTamu-Morehは4時に閉まるという情報は手に入れていて、実際上の故障修理中に英語が喋れる暇そうなチンの人に聞いてみたところ、やはりこちらも4時に閉まるとのことだった。彼曰くそれはあくまでオフィシャルな設定であって、別に遅れて行っても問題ないとのことだったが、残りのお金を考えると、運任せで物事を進めた結果Rihkhawdarで一泊する羽目になることだけはどうしても避けたかった。


バンは3:50くらいにバンターミナルと言うべき場所に着いた。先の英語ができる男性に尋ねたら、バイクタクシーで国境まで1000チャットとのこと。僕は急いでバンの上に積まれたバックパックを下ろしてもらって国境へと急いだ。

 

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丁度4時にミャンマー側のイミグレに到着した。正直ダメ元感は否めなかったが、試しに真新しい水色の看板が飾ってある建物に入ってまだ開いているか聞いてみると、「Yes」と即答だった。何となく拍子抜けしたが、一安心である。外国人の数はやはり相当限られているのか、パスポートの読み込みに20回ほど失敗した挙句、読み込みを諦めて軽く情報を書き留めた後に返却されるなどというもたつきはあったが、何れにしても国境を超えられる分には問題ない。

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イミグレーションオフィス

国境はHarhva川を境に設定されている。

鉄橋を渡って対岸がインドである。

 

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ついにインドに来てしまった。

この時は、勿論焦っていたこともあったが、具体的な感傷に浸るというよりも、夢中になって何も考えられないような、そんな感覚だった。直近に訪れたインド・パキスタン国境やカザフ・中国国境の時には興奮に近い高揚感だったが、今回はそれとは一味違った。

 

インド側のイミグレは国境ゲートを超えてすぐ右側にある。

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イミグレーションオフィス

手続きは手書きで行われた。ミャンマー側では機械化しようとして逆に手こずっていたが、こちらは最初からそれを諦めていて潔さすら感じた。

 

しかし、ここで一つ大きな過ちを犯してしまったことに気づいた。

お金である。

ミャンマーの通貨であるKyat(チャット)は「基本的に」国外持ち出し禁止である。それゆえ、ミャンマー側にはちょくちょく両替商がいたのだが、インド側に両替商は勿論、国境にある銀行の支店ですら両替ができなかった。しかし、これは想定内だった。

想定外だったのは、ATMが皆無だったことだ。テディムにいる間にインド国境近くに銀行があるからATMもあるだろうと勝手に勘ぐっていたのだが、どうやらATMは国境に一番近い大きな町であるチャンパイ(Champhai)まで行かないとないらしい。

 

冷静な状態だったらATMの想定が外れることを予想してミャンマー側で両替していたのだろうが、如何せん時間のことばかり考えていてそんなことなど気にする余裕が無かった。

しかし、何れにしても、一文無しになってしまった。さてどうしようか。

とりあえず、手続きを済ませたばかりのイミグレーションオフィスに駆け込んだ。とりあえず英語で事情を理解してくれそうな人がいるのはそこしかなかったからだ。

するとオフィスにいた30前後の人が、近くで座っていたおばちゃんに話しかけると、そのおばちゃんが代わりにミャンマー側に両替をしに行ってくれると言う。どれくらいルピーに両替したいのかだけ聞いた後に彼女は橋を超えてミャンマーに行ったかと思うと、ものの10分ほどでインドに戻ってきて両替してくれた。今冷静に考えてもそのシステムはよく分からないのだが、とりあえず感謝するしかない。

何れにしても、「使い切りようのない少額or緊急用であれば問題ない」と勝手に拡大解釈をして、数百円分のチャットをインド側に持ち込んでいたのが功を奏した。(USドルはこんな辺鄙な場所ではただの価値のありそうな紙に過ぎない。)

これが無かったら国境で足止めを食らっていたと思うと、まさしく九死に一生を得た気分だった。

 


 

次回からはいよいよインド側最初の町、ミゾラム州・チャンパイ(Champhai)での諸々についてまとめていきたいと思います。

ちなみにテディムからチャンパイまでの簡単な道のりについて、簡単な写真と動画で映像にまとめたので、もし良かったらご覧ください。(ブログの内容とさして代わり映えはありませんが、、、)

 

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