悠久たるサマルカンドー中央アジアの旅・ウズベキスタン(2)
ついにブログを開始して一週間が経った。
目標は最低でも一ヶ月なので頑張ってやっていきたい。
今回紹介するのは、ウズベキスタン観光でも屈指の目玉である、世界遺産・サマルカンドである。通称青の都とも呼ばれるこの街は、確かに青い建築物が多く存在しているのだが、雲ひとつない青空が相乗効果をもたらしてくれているようなところであった。
タシケント南駅からサマルカンド駅へ
タシケントからサマルカンドへ向かう際の鉄道は基本的にアフラシャブ号・シャーク号・夜行列車の三種類である。アフラシャブ号は最近完成した高速鉄道なのだが、その分人気もあり、前日に予約しようとしても売り切れているケースがある。生憎自分は往復どちらもそのケースで結局アフラシャブ号に乗ることができず、幾らかオンボロ感の漂うシャーク号に乗ることとなった。料金は51000スム(約700円)
シャーク号は昨日紹介したタシケント駅(詳しくは↓)からタクシーにて二十分程度の所にあるタシケント南駅から出発である。タシケント駅からなら宿から歩いて行けたのにと思うと、これも無駄な出費に感じてしまうが、まあ仕方がない。
車内は可もなく不可もなくという感じであった。各車両に数個のテレビがあり、日本で言う所のスパイ映画らしきものが流れていた。勿論ウズベク語(かロシア語)だったので詳しい内容はほとんど分からないのだが、アフガンまで向かったバスが夜中山賊らしき者に襲来を受けていたシーンは、日本人の持つであろうアフガンのイメージと大してギャップがないことを感じられて興味深かった。
ちなみに唯一の不満は、適当に出されたレモンティーが有料だったことである。
(外国人だからとかその手の括りではなさそうだった。)
サマルカンド駅から市内への移動
サマルカンド駅はタシケント駅と比較すると建物の規模はやや劣るが、デザイン的には個人的にこちらの方が何となく好みである。何となく、である。
駅から市内への移動手段は3番のバスで、値段はタシケントと同じ1200スム(約15円)。駅から行く時は、初めはガラガラなのだが、観光地寄りになって行くに連れてかなりの混み方をするので、出来るだけドアに近めの席に座った方が無難である。
ちなみにトラムも走っているようだったので調べたところ、1973年まで使われていたものが2017年より復活したようだ。これも恐らくウズベキスタンの誇る一大観光地ならではのアピールと言ったところであろう。
が、観光の中心地よりは少し離れた所を走っていたので残念ながら使う機会はなかった。
宿
サマルカンドではAmir Hostelに一泊した。手作り感に満ちた比較的新しいドミトリーだったが、一泊二日でサマルカンドを可能な限り満喫しようとしていた為に、宿は寝るだけの場所に過ぎなかった。朝食は結構量があり、現地の食事という感じだったが、水下痢&胃腸停止中だった為にブドウと中央アジア型ナンがあったことくらいしか記憶にない。申し訳ない。
遺跡群
サマルカンドの目玉である。特に印象に残ったものを紹介したい。
グーリ・アミール廟
宿に一番近かった遺跡である。こんなこと言っては怒られそうだが、サマルカンドの遺跡はどれも似通っているので、どうしても一番初めに見たここのインパクトが強い。
空の青さと見事にマッチしていて本当に美しい。
レギスタン広場
サマルカンドと言えばここである。三つの神学校が向かい合うように立っているこの広場は、いつ来てもそのスケール感に圧倒された。
こぼれ話
レギスタン広場の写真右に、ベンチやらカフェやらがあるのだが、そこで休憩していたらウズベク人に話しかけられた。英語が少しできるようで、
等々、半ばどうでも良い会話に付き合わされたのち、
「世界の硬貨を集めるのが趣味だから、日本の硬貨をくれ」
とか言い出した。「日本人の友達がいるならその人からもらえば良いじゃん」と嗜めると、話を切り替えた後、
「フランスの香水が好きなんだが、持ってたりとかしないか」
と言い出した。「何を言っているんだ、、、」と思ったのも束の間、
「今失業していて困っているのでUSドルで良いからお金をくれないか」
である。非常にユニークなお金の稼ぎ方だと少し感心したのだが、残念ながらそんなに感傷的な人間ではない。「時間がないから帰る」と言い、適当に遇らった。
何とか職を見つけようと努めてもらいたいものだ。
シヨブ・バザール
レギスタン広場から続く土産物通りを歩いて20分くらいした所にあるシヨブ・バザール。遺跡ではない。基本的に売っているものはタシケントのチョルスー・バザールと同じである。が、唯一の違いとして土産物屋が複数あり、土産物通りの店よりも客が入っているので、ここで買った方が何となく安心である(ような気がした)。
明日からは国を変え、カザフスタンについてまとめたいと思う。