はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

ミャンマー最果ての地、テディム(Tedim) ーミャンマー・インドの旅(9)


マンダレーから国境を超えてインドのアイゾールに到達するまでの記録は既に英語で下の記事にまとめましたが、日本語でより詳しく振り返っていきたいと思います。

 

borderpass.hatenablog.com

 

今回の記事は前回のブログの続きから書いてあるので、是非↓こちらから読んでいただけると助かります。

 

borderpass.hatenablog.com

 


 

途中の絶景スポットを過ぎた辺りから、カレーミョまでの長距離バスとはまるで性質が異なる強烈な揺れや砂煙にも段々と慣れ始めた。

 

丁度太陽も眩しく照り始めた頃、7人を乗せた乗り合いバンはテディムの町に入った。乗客は自分の降りたい場所をバンの運転手に細かく指示しながら逐一降りていった。

一番初めはお祈り役だったおばちゃんで、そのすぐあとに、一番後ろの座席に座っていた20代ほどのカップル。どちらも活気のあまりない町の外れで降りていった。残ったのは絶景スポットでバレンタインを武器に煽ってきた、隣に座る三十路とおもわしきカップルと僕だけだった。

 

今回の移動で非常に好都合だったのは、煽りカップルが観光で来てくれていた事だ。どうやらこの辺りは高地なので、山や湖で癒されたい人が時々来るらしい。観光で来ているという事は特に頼まずともホテルへと向かうはずだ。しかも、彼らは英語ができるし、たとえフロントの人間が英語に疎くても、情報収集をする上では差し支えなさそうである、と勝手に期待していた。

 

その読みは的中した。バンはいかにもホテルらしい、三階建のコンクリート造の建物のそばに停車した。名前はTedim Guesthouse。昨日カレーミョのShin Hong Hotelでマネージャーが教えてくれたところだった。

僕は急ぎ足でフロントへ向かった。三人ともここに泊まるとバンの運転手が勘違いして放置されてしまうと若干困りそうな気がしたからだ。しかし、値段を尋ねるが、どうも英語が出来ないようなので、小分けした荷物を積み重ねて背負って入ってきたカップルに代わりに聞いてもらうと、シングル25000Kyatとの返答。

困った。一応払える値段ではあったが、しかしここで無駄に散財すると国境へと向かう時にトラブルに巻き込まれた際に困る。リスクマネジメントはやはりしっかりしておきたかった。

そこで、一か八かで町の中心の時計台近くにある安いゲストハウスを知らないかとカップルに尋ねてみた。この朧げな情報はカレーミョでWiFiを繋いで手に入れていたものだった。もう既に二人とも荷物を全部おろし終えて宿のチェックインをしていたが、まだバンは出発していないので、運に身を委ねてみた。

返答はあっさり、Yesだった。Ciimunai Guesthouseという宿が町の中心の時計台近くにあるらしい。間違いなくTedim Guesthouseより安いと確信に満ちたように言われた。どうやら彼らは以前そちらに泊まったことがあるらしい。そこで、自分の仕事は終えたと一息入れて席に座ろうとしているバンの運転手にCiimunaiに行きたい旨をカップルを通して伝え、僕は再びバンに乗車した。

 

Ciimunaiは思っていたより近かった。テディムの町をもう少しバンの車窓で満喫できるとか思っていたが、本当に呆気なかった。

Ciimunaiはまさしく時計台のすぐそば、長距離バスの予約代行屋のすぐ後ろにあった。入ると目の前にフロントがあり、偶々居合わせた男性スタッフに聞くと12000Kyatとのこと。Teddim Guesthouseの半額以下だ。勿論建物全部が簡素な木造の作りなようだが、それが逆にノスタルジックで趣深く感じた。僕は一片の迷いもなくここに即決した。

 

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部屋の内観

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斜面の上に建っているので、溜まり場ではパノラマが楽しめる

 

木組みの上に布団を敷いた形のベッドでしばし休憩を取った後に、テディムの街へと繰り出してみた。

乗り合いバンの車窓から見た時に既に気づいていたことではあるが、テディムは如何にも原風景という単語を用いて表現すべきといった世界だった。テディムはチン州の中でも有数に大きいまちである。それでも、山の上にあるという弱点は非常に大きく、まちの規模は大きくとも、その空間を深化させるだけのインフラと物的豊かさの乏しさを実感した。

 

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Tedimのメインストリート

 

その一方で、テディムで驚いたのは、やけに話しかけられると言う点である。

時計台から少し離れ、住宅街方向へと伸びる、落ち着きある道を歩いていると、いかにも暇そうにしている中年のおじさんに立て続けに話しかけられた。遺伝的な話で東アジア寄りの顔立ちをしているチン州の人々からしても、水色のウィンドブレーカーを着ている僕は余所者であると容易に判断できてしまうようだ。

しかし、話しかけられたは良いのだが、困ったことに彼らは英語が殆どできなかった。これは後々宿で呑気に留守番をしていたオーナーに聞いたことだが、このまちを訪れる外国人は殆ど仕事としてらしい。確かに道を歩いていると、ワールドワイドなNPOである某のこじんまりとしたオフィスもあったし、そもそもチン州は一部を除いて外国人の入境が制限され続けてきて目星い観光スポットもないし、そもそもここまでの道のりを踏まえても、外国人観光客が来ないのは容易に納得できる事実であった。

ただ、中年男性はどちらも、英語が殆どできなくとも何となく単語単語で理解はできているようだし、僕の持っていたミラーレスカメラで写真を撮ってくれなどと頼んでくるほどであった。こんな僻地で何でおっさんの写真を撮っているんだと自分でも可笑しく思えたが、それはそれで和む体験であったし、何よりこのテディムというまちが些か面白そうだと感じた瞬間だったりした。

 

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一歩道を外れると如何にもという風景が拡がる

テディムのまちを歩いていると、カレーミョの時と同じように教会が乱立していた。テディムは山の斜面に広がっているのだが、教会の多くはその斜面の上にあって、そこからの見晴らしは非常に綺麗なものだった。斜面の上にある以上、いちいち急な坂やら階段やら登らなけらばならないのは面倒なものだったが。適当に歩いているとだんだん日が傾いてきたので一旦宿に戻る。

 

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宿のバルコニーからはいい感じの夕陽を拝むことができた。

昼食は抜いていたこともあって、やや早めだが夕飯を取ることにした。入ったのはAsian Restaurant Tedim。再び大通りを歩いていて英語&写真付きの看板だったので、特に問題はないだろうという直感を信じた。

 

この直感は正解だった。店は家族経営のようだったが、給仕を担当している若息子らしい男性は英語を流暢に扱うことができた。しかもミャンマービールやダゴンビール、ワインなどのアルコール類も十分揃えてあった。

僕は、(金銭的な余裕も加味して)ダゴンビールの缶と焼き鳥、ライスを注文した後に、折角なので若息子にこの辺りの暮らしについて色々質問した。特に気になったのは下の記事に書いてあった第二次大戦に関連する遺品収集の話だ。僕はてっきり、人伝てに辿っていけば、チン州北部の中心地とも言えるテディムのどこかでそういう品々を見ることができるんじゃないかと淡く期待していたのだが、彼曰くテディム周辺ではなく、ここからさらに北にいったところがホットスポットなようだ。しかしそれでもこの辺りに伝承される日本軍に関する話を諸々聞くことができたのでかなり有意義だった。

 

www.yomiuri.co.jp

 

だいぶ長居してしまった後に宿に戻る。兎に角暗い。街灯がほんの僅かあるかないかの世界線であるし、何より道の整備が中途なまま放置されているので、時々足元を取られて結構危なかったりする。しかし、そんな暗闇の中からキリスト教ならではの賛美歌を聴くこともできて、それはそれでノスタルジックだったりもした。

 

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所々に見える街灯。奥に見える明るめの建物がTedim Guesthouseである。

 

宿に戻ってとりあえずシャワーを浴びる。シャワーと言ってもシャワーノズルはなく、言うならば水浴びなのだが、Ciimunaiの凄いところはきちんとぬるま湯以上のお湯が蛇口から出る点だ。給湯に関してはオーナーが相当な尽力をしているとか何とかという話もあったが、もしそうだとしたら感動ものだ。

 

水浴びを終えて、ちょっとした溜まり場で休憩していると、気になる写真を発見した。どうやらこのCiimunaiはテディムから南に10km近く離れた所にあるSaizang Villageで子供たちの教育活動を行なっているようだ。この辺りも如何にもキリスト教精神の現れと言った所であるが、そういう支援の意味でもこの宿に宿泊する意義はかなり大きそうだ。

 

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教育支援に関する説明

 


 

あまりにいい雰囲気だったので折角だからもう一泊することも検討したが、金銭的・時間的余裕を加味して先を急ぐこととする。次回はいよいよ国境までの道程、そしていよいよインド突入です。