はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

囂然たるウズベキスタン・カザフスタン国境とシムケントー中央アジアの旅・カザフスタン(1)

 

ウズベキスタンにてサマルカンドを飽きるほど観光し、再び微妙なボロさの漂うシャーク号に乗車。タシケントで一泊後向かったのは、タシケントからバスやマルシュルートカ(乗り合いバン)を乗り継いで行けるカザフスタン第三の都市・シムケント。その距離はわずか130kmほどである。

 

(ちなみにサマルカンドとシャーク号の紹介はこちら↓) 

borderpass.hatenablog.com


 

タシケント駅から国境への行き方

※写真を全く取らずに過ごしてしまったので、軽く文章で紹介する程度に止める。

  1. タシケント駅の建物を基準に、チケット売り場(Kassa)と反対側にバス乗り場がある。ここから出発する60番バスに乗り、「ユーヌサヴァ」(近くにある高架橋と降りる人の多さが目印)で降りる。1200スム(15円くらい)。
  2. 「ユーヌサヴァ」から国境へと向かうマルシュルートカが高架橋下の道路を渡った所に待機しているのでこれに乗車。「カザフスタン?」とか「ボーダー?」とか軽く確認した方が確実かもしれない。
    料金は1500スム(20円くらい)で後払いなので、無理に前払いしないで他の乗客と同じタイミングで支払った方がいい。
    と言うのも、自分が乗ったマルシュルートカに乗客がまだ誰一人乗っていなかったため、前払いか後払いかが分からず、適当に聞いて言われた3000スムを支払わされた為である。
    (降りるタイミングでボラれた事に気づくも、変にいちゃもんをつけて時間を取られるのは気が引けた。)
  3. 国境までのマルシュルートカはイミグレーションの手前2kmくらいまでなのでそこからは歩いて向かう。

 

以上のルートがオーソドックスだが、国境からタシケント方面へ向かう際には白バス(1200スム)が出ていると言う情報もある。この辺は情報に溢れているので是非色々調べて検討してほしい。

ウズベク・カザフ国境

幸いにも英語の出来るカザフ人とユーヌサヴァからのマルシュルートカで知り合うことができたので、彼と一緒にイミグレを通った。ウズベク側のイミグレが非常に悪名高く、時間がかかると聞いていたのだが、カザフ人君(名前を失念した。)が交渉してくれたのか、一瞬にして通り抜けることができた。噂通り、日本人だと言うことをどうにかアピールすれば横道をすり抜けていけるのかもしれない。確信はない。

 

その一方でやや大変だったのはカザフ側のイミグレである。と言っても1時間程度であるが、常に列の譲る譲らないに関して罵り合いが聞こえたし、自分自身も数回押し退け合いで戦った。カザフ人君の言うことを聞く限り、カザフ人とウズベク人は結構犬猿の仲的なところがあるようだ。(温厚なカザフ人君でさえF**Kとか言っていた。)

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国境近くの荒野。国境自体の写真はカザフ人君の助言により控えた。

国境を出たところにはよくいる両替商のみならず、少なくとも二つの両替所があった。両替所のレートはアルマトイよりも良かったのでここである程度換えてしまってもいいかもしれない。

国境からシムケント駅への行き方

※こちらも写真を全く取らずに過ごしてしまったので、軽く文章で紹介する程度に止める。

  1.  国境近くにシムケント行きの乗り合いバンがあるのでこれに乗り込む。500テンゲ(150円くらい)
  2. 基本的にはシムケント駅まで行かずに市内に入ったあたりで降ろされるのでここから145番マルシュルートカを探し出し、乗車。(探し方は降ろされた場所から続く一本道をひたすらまっすぐ進めばそのうち見つかると言うシンプルなものである。)70テンゲ(20円くらい)

シムケント駅内部には、チケット売り場にATM、トイレ等々がある。チケット売り場ではこれまた例に漏れず英語が通じないので、

  • Google翻訳をダウンロードしてオフラインでも使えるようにしておく
  • 「今夜(Сегодня вечером)」「一番安い(Самый дешевый)」「アルマトイ(Алматы)」など、自分の望む電車が伝わるような単語をメモして臨む

など、何らかの事前対策を練っておいた方が無難である。ちなみにアルマトイまでの寝台列車は3000テンゲ(900円くらい)だった。

 

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シムケント駅。乗り合いバンからこれを探し出せばいいのだが、例に漏れずたくさんの乗客が降りるのであまり心配しなくても問題ない。

  

カザフスタンの「核廃絶」への意識 

電車の出発時間までは2時間ほどあったので、駅の隣のシャシリク(肉の串焼き)屋で休憩していると、前のテーブルにいたおっさん二人組にどこから来たのか(的な何か)を尋ねられた。数少ない知っているロシア語「Япония(日本)」で対応すると、「ヒロシマナガサキ!」という答えがかえってきた。大抵これまでの経験からすると、日本と聞いて返ってくる都市は東京と大阪、稀に京都なのだが、この反応は意外だった。

 

しかし、その理由は意外にもすぐ分かり始めた。

 

シャシリクを食べ終えて街を歩いていると、公園にまさかの「放射能マーク」が書かれているのである。

 

そう、この国は「核」に対してかなり注目度が高い国なのだ。

 

後になって知った話だが、ソ連崩壊後に誕生したカザフスタンにおいて、建国以来大統領に君臨し続けているナザルバエフ大統領は、当時世界第二位の核実験場と、世界第四位の核戦力を放棄するなど、核廃絶に対して非常に積極的だそうだ。

 

事実、列車の中で出会った英語のできる同い年の子に聞くと、小学校高学年の時に学校の授業で広島、長崎についての調査を行ったらしい。日本でもせいぜい話を受け身で聞く程度であることを考えると、相当である。と同時に、自分は広島と長崎の悲劇についてなんとなくしか知らないのに日本人というだけで被害者ヅラしてしまっているような気がして、恥ずかしくなった。

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子供達の笑い声に満ちた公園に放射能マーク。日本だとほぼ想像のつかない光景である。

  


 

夜行列車18時間の旅。相変わらず相容れないカザフ人とウズベク人を見つつ、英語のできる親子(先述)やカザフ国立大の教授などとの出会いがあり、非常にいい思い出となった。

明日はカザフスタン最大の都市・アルマトイについて書きます。