はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

粛々たるウルムチ人民公園と空港泊ー中央アジアの旅・新疆ウイグル自治区(4)

 

毎日続けるという目標と共にスタートしたこのブログも二週間が過ぎた。

そしてブログ開始とほぼ同時に始めた2018中央アジアの旅の振り返り(の本編)もとりあえず今日で終わりである。

 

しかしそれにしても、如何せんこれまでの旅の記録・記憶は共に限度なるものがある。

ので、中央アジアの旅が終わり次第は、旅のブログを一気にまとめて書くというよりは、ちょくちょく他の話を織り込みながらブログを続けていきたい。

 

以上、個人的抱負でした。

 


 

 

乌鲁木齐市水上乐园〜人民公園

昨日のブログで紹介した乌鲁木齐市水上乐园でとにかく楽しんでいる入場客の歓声を聞いていたら段々と辛くなってきたのと、ただぼーっと黄昏ているだけだとウルムチまで来た甲斐が低減してしまうと思い、他の公園探しをした。

 

(昨日のブログ) 

borderpass.hatenablog.com

 

 

すると街の中心に乌鲁木齐人民公园なるものがあるようだ。

 

名前からしていかにも中国のステレオタイプに基づいて設計されていそうな公園ではあるが、地図からしてそれなりに広く見応えもありそうだ。もしかするとウイグル要素を少し含んでいるかも?という淡い期待も若干あったので、とりあえず行ってみることにした。

 

移動は乌鲁木齐市水上乐园から少し北上した辺りから出ている公共バス。水上乐园周辺のバス停も少し探したのだが、BRT乗り場しか見つけることができなかった。

人民公園は大通り沿いの街の中心地と言うべき場所にある為、バス停の行き先を示す看板を見れば、大抵は「人民公园」を通るバスは容易に見つけることができるのではないかと思う。

が、街の中心にあるがゆえに、到着目前になる辺りで渋滞に巻き込まれ、僅かなもどかしさも感じるような場所でもあったりする。

 

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人民公園入口全景。写真右から出入り可能だが、手荷物検査は相変わらずである。

 

公園に入ってみると、先ほどの遊園地と違ってここはほとんど漢民族しかいなかった。ウイグル族(らしい人)は、とにかく目を凝らして探してようやく数名見つけられるとか、そのレベルであった。偶々かもしれないが。

公園自体のデザインも予想通りのステレオタイプ系であったが、百度百科によれば、どうやら公園が作られた清の時代からあまり変わっていないようである。つまりこの空間は300年近くウイグル文化とは隔離された場所であるということなのかもしれない。

 

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人民公園は大きな池を中心に拡がっている。

ただ、重要なのは、

「ここが中国の辺境の地で何かしら迫害を受けている民族がいるという事実を忘れれば」

この公園は、よくある中国の公園の風景とはさして変わらないということだ。池の周りのベンチでは中年女性が黄昏ていたり、赤ん坊が喚いていたり、小学生が走り回っていたり。スワンボートも浮かんでいて、家族連れがのんびり漕いでいる。

入口の近くには卓球場があり、仕事終わりなのか分からないが中高年のおじさんで一杯であった。トランプや麻雀に興じるおじさんも他と変わらない。

 

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漢詩か何かが書かれた石床

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公園内のあらゆる建築物は、一般的に想像される中国式である。

 

しかしながら、数年前に普通に大規模テロが起きていることもこれまた事実である。

www.sankei.com 

彼らは平然を装っているだけなのだろうか。

個人的にはそうは思わなかった。

パキスタンでもそうだったが、テロや死というものに対する恐怖・価値観は日本人が持つそれとはまたちょっと違うものなのかもしれない。

 


 

帰路へ

人民公園でしばし休憩を取っていると、いい感じに日が暮れてきた。

帰りの便はウルムチ地窩堡国際空港発の早朝便だった為、とりあえず空港泊をしようと前から決めていたこともあり、早めに空港へと向かうこととした。

 

しかし、人民公園の周辺を彷徨っても空港へと向かう51番バスの乗り場がない。というのも、地図に載っていたバス乗り場が工事中でどこかに移転しているようで、しかもそれがどこにあるのか全く見つからなかったのである。

ウルムチは、街の大通り沿いから一歩外に踏み出すと依然再開発が積極的に行われていて、工事現場を堂々と歩かないといけないようなところも多々存在している。それゆえ、ガラスの破片がひどく飛び散った歩道を歩き続けるなどして、それなりに苦労した。

 

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51番バス探しに途方にくれていた時に見つけたバーキンのパクリ。この近くにぶどうを屋台で売っているウイグル系のおじいさんがいた。

 

早朝まで時間は十二分に残っているので歩いて空港へと向かうことも検討したレベルで途方にくれたのだが、途中休憩がてらの夕食として激辛青椒肉絲飯を挟みつつ、何やかんや2時間弱ほど歩き回った結果、新疆博物館の道路を挟んで反対側に、51番の空港行きバスを発見した。

(ちなみにこのバス停のすぐそばには無印良品(本物)があり、「MUJI」の文字を簡単に見つけることができるはずである。)

 

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新疆博物館から空港までの51番バスのルート

しかしこの51番バス、乗った後も生き地獄だった。

空港へと向かう観光客&ビジネスマンに加えて現地住民でごった返していて、空港近くで現地住民がぞろぞろと降りるまで常に満員である。しかも尋常じゃない道路渋滞が発生しているので、兎に角耐え忍ぶしかなかった。

ちなみに上の地図にある紺色の細い線はつい3ヶ月ほど前に完成した烏魯木斉地鉄である。乗車賃もバスと変わらず1元とのことなので、51番バスに乗って苦行を強いられるよりかは、もう少し歩いて地下鉄で空港に向かった方が圧倒的に楽であろう。

 


 

徒歩にて空港侵入

上の地図からも分かるように、この51番バス、空港の少し手前のバス停で止まるのだが、Baidu Mapによればこのバス停から空港までは歩いていけると示されている。

自分もそれを信じて意気揚々と歩いて行ったのだが、一緒に歩く中国人の多くは空港関係者らしく、段々と他の道に曲がっては関係者用施設へと消えてしまい、挙げ句の果てにターミナルへと向かう人間は自分一人だけになった。

 

そもそも国際空港たるもの、歩いてターミナルへ入ることなんてできるのだろうかという疑念はバスに乗る前から抱いていたのだが、追い討ちをかけるように一人にされてしまったが為に、尋常じゃない不安感と共に歩き続ける羽目となった。

 

バス停から15分程経っただろうか、ターミナルが見えてくる。

写真を撮るのは烏滸がましく感じたので撮ってはいないが、やはりと言うべきであろうか、明らかに歩行者を意識した設計にはなっていない。

  • 入口から見えるターミナルへの最短経路が「侵入禁止」となっているので迂回する必要がある
  • 迂回路の歩道はようやく人一人歩けるレベルのところもある
  • 横断歩道はないに等しい

などの困難を乗り越える必要がある。

 

※このような謎の緊張感を感じなくて済む為にも、是非新しく完成した烏魯木斉地鉄の利用を勧めたい。

 

寝床が地獄な空港泊

空港泊自体もなかなか厳しいものがある。

このウルムチ地窩堡国際空港、つい最近まで深夜は空港が閉鎖され、空港泊希望者は数時間野宿を強いられるような場所であったらしいのだが、最近ようやく空港泊が認められ、今回も追い出されることなく滞在することができた。

 

この空港には国際線メインのT3と国内線メインのT2があるが、今回泊まったのは後者である。

国内線ということで設備の質はあまり期待はしていなかったが、トイレは綺麗で、お湯やUSB充電等の供給設備も充実しているのはありがたい。

 

が、そもそものところ、空港泊をする旅行者の為に設計されていない為に、一番重要な寝床が、下のイメージのような一人分の木の座椅子(+手すり付き)なのである。

勿論横になるなどもってのほかで、どのような座った体勢が寝るのに最適で、かつ痛くないかをとにかく模索し続けるしかない。

 

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用意されている木の椅子のイメージ。これが20脚くらいしかない。

ましてこの椅子、20脚くらいしか用意されていない。

T3の方の椅子事情は不明だが、少なくともT2で不運な運命に遭遇してしまった客は、耳元で「金を払え」と喧しく訴え続けるマッサージ機か、床か、T3にある(超高額)カプセルホテル で夜を明かすしかない。

 

ウルムチ地窩堡国際空港さん。寝床の準備、何卒よろしくお願いします。 

 


 

何とか10時間くらいの空港泊を乗り越え、いよいよ帰路に。

壮絶なプロローグから始まった中央アジアの旅も終わってみれば、まあいい思い出になったと思います。

 

明日からはエピローグを書く予定です。