はざまを彷徨う

世の中の境界とそのワクワク感についての個人的雑感

果てしなき中央アジアー中央アジアの旅・総仕上げ

 

今日は約半年ぶりにインド大使館に行ってビザ申請を行いました。

相変わらず彼の国のビザ申請書類は面倒ですが、流石に2回目ということもあってかなり手慣れてきたというか、変に緊張感を持たずに作れるようになった気がします。

インドは来月行く予定で、その模様を随時こちらのブログでも更新していく予定なので、もし興味がありましたら読んでいただけると有り難いです。

 

さて今日のブログでは、中央アジアの旅の総仕上げを軽くですがやっていきたいと思います。眠いですが、毎日続けると宣言したからには頑張ります。

 


 

 

旅以前の問題

まず、今回の旅は中央アジア最初の国、ウズベキスタンに到達するまでが一番体力的にも精神的にもきつかった気がします。ここまで旅の始まりでワクワク感を感じられない旅はこれまでなかった気がします。

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あらゆる失敗の根源となったのは、中央アジアの前に訪れたインド・パキスタンにて発症した腹痛と水下痢であり、また中央アジアでの1週間半で治りかけていた水下痢が中国・ウルムチで食べた激辛青椒肉絲で再びぶり返した事を踏まえると、やはり

 

「自分の食欲に合う食事」と「エネルギー獲得を目的とした、食欲を若干超える食事

 

の両方のバランスを取ることが一番大事だとつくづく感じます。


ただ、やはりこのバランス感覚は、旅を何度も繰り返し、何度も病に罹ってこそ身につく気がしているので、ただただ頑張るしかありません。辛い。

 

中央アジア
(ウズベキスタンカザフスタンキルギス)


出国前まではこれら三ヶ国は、一般的にイメージされるスタン系に比べると圧倒的に安全ということだけは知っていましたが、ウズベキスタン高速鉄道で観た映画でアフガニスタンでのシーンがあったように、やはり地政学的リスクのようなものはあって、この辺は日本における北朝鮮のような認識のされ方なのかなと少し感じました。

 

また、今回の中央アジアでかなり印象深く残っている風景があります。

 

それは、ウズベキスタンサマルカンドで観た遺跡群や、ただただ永遠に続く荒野に広がる「青」です。

 

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日本は「四季」の色彩の変化こそが美という認識ですが、特に荒野や砂漠がただただ広がる国であるウズベキスタンにおいて、空や水の透き通った青は、茫々たる砂漠に対する二項対立的な美を象徴する色なのかもしれないと感じました。

 

また、個人的に一番これからその重要性を認識しないといけないと痛感させられたことがあります。それは、各国ともその地理的な繋がりは同じでも、「国」に対して感じていること、考えていることが個々の国によって違い、そして歴史に従えば連続性が高いはずの隣国に対して断絶感を少なからず感じているという点です。

 

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そのきっかけは、上のブログで紹介したカザフ人君の「F**ck」発言でした。

初めは言い争いを続ける、カザフ人だかウズベク人だか分からないおばちゃんたち全体に対して言っているのかもしれないと思っていました。

しかし、カザフスタンシムケントアルマトイ行の鉄道で一緒に旅をしたカザフ人親子も、「彼らとはそもそも民族として異なっていて、DNAそのものからまず違うから、鉄道で同じボックスになったとしても絡みようがない」と言っていました。

 

一応断りますが、彼らはいずれも日本人の自分に対してもの凄く親切をしてくれた存在です。

カザフ人君は自分と一緒に、レートの良い両替所やシムケント市街地へのマルシュルートカ(乗り合いバン)を探してくれました。

カザフ人親子はまるで鉄道の土地の勝手を理解していない自分にイロハを教えてくれ、紅茶やお菓子にメロンなどで持て成してくれました。

そんな彼らが言うんだから、やはり何かしら大きな感情とその背景があるのだろうと信じています。

これは今後真面目に調べてブログでも伝えていこうと思います。

 

そして、地理的に距離がある国は、どうしても国ではなくて「CIS」とか「EU」とか「ASEAN」とかの地域区分で理解し、その地域連携は日本と韓国、中国なんかよりもよっぽど上手くいくと勝手に考えていたところがありましたが、この辺は政治的な国境と経済的な国境があって、その両方に注目していかないといけないと改めて実感させられました。

 

中国・新疆ウイグル自治区

新疆での実質的な滞在期間は二泊。

しかも一泊はバスで、もう一泊は空港だったので、中央アジアに比べて「体験量」は圧倒的に少なかったのですが、やはりそのネームバリューのようなものが自分の好奇心を擽ったのか、中央アジア並み、もしかするとそれ以上に印象に残った場所でした。

 

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何の特徴もない街の風景含め割と覚えているのですが、とりわけ上のブログで紹介した大バザールでの、虚脱感のような、言葉で表現しづらい感覚がこびりついています。

 

どうしても背景ワードとして「ウイグル弾圧」というものを知っていたからか、そこにあると想定していたのは、イメージされやすい中国要素の強い世界観によってウイグルの文化が淘汰されているような空間でした。

ただ、実際にそこに拡がっていたのは、中央アジアと連続性の高いウイグル文化を最大限美化した空間でした。言い換えれば、中央アジアのバザールをさらに高度化したようなもので、良く言えばクリーンで清潔感のある、悪く言えば庶民要素を欠いた世界といった感じです。

 

大バザール自体、ウルムチを訪れたからには必ずと言って良いほどの観光スポットな訳で、実際かなりの量の中国人観光客が来ていたのですが、そこにあったウイグルは自分が求めていたものではなかったのかもしれません。

 

これは、中国政府のやっていることが良い悪い云々を言っている訳ではなく、汚らしさや混沌の中に紛れ込むことが海外に行った時の醍醐味の一つだと考える自分なりの意見であって、海外に行ってそのテーマパーク感を純粋に味わいたいような人にとってはもしかするとうってつけなのかもしれません。(無論、「ウイグル弾圧」の背景ワードを知らないことが条件かもしれませんが。)

 

要は何が言いたいか。

それは、ウルムチは乏しいインプットから自分の頭の中で勝手に作り込まれていた、色んな固定概念が覆されると言う意味でかなりオススメの旅行先だと言うことです。

もしよろしければ、是非。

 


 

今後の糧

最後に。

今回の旅は常に良い思い出だった訳ではなく、特に水下痢とiPhoneなしに悩まされ続けましたが、総じて「発見が多い」旅だったと思います。

特に、ウルムチでの経験を踏まえれば、旅に求めるものは「自分の中のしょうもない固定概念がわずかでも壊れること」なのかもしれない。

そんな良い感じの、しかし僅かばかりのありきたり感もある気づきを、来週からの旅に生かしていきたいと思います。

 

では。