赫然たるホルゴス(中国・カザフスタン国境)ー中央アジアの旅・新疆ウイグル自治区(1)
今日から中国・新疆ウイグル自治区へ。
なお、自分は中国政府によるウイグル族の弾圧等に関して限りなく疎い。
それゆえ、今回のブログも見たものを可能な限り叙述的にまとめようと試みたものなので、そこの所よろしくお願いします。
2021/1/10追記:
アルマトイ→ウルムチの写真や動画を簡単にまとめた2分程度の動画をYouTubeにアップロードしました。
現在英語版のみですが、近いうちに日本語版も作成予定です。
アルマトイからカザフスタン・中国国境へ
アルマトイからウルムチへのバスは、キルギス・ビシュケクと同じくアルマトイ郊外のサイランバスターミナルから、朝7時発の便がある。郊外&朝発なので、タクシーを可能な限り使いたいくない派の人は少し注意しておいた方がいいかもしれない。
所要は24時間「前後」。見聞きした情報の限り、この「前後」の振れ幅は結構大きく、特に「後」に大きく振れる傾向にある。
座席はスリーピングタイプで、東南アジアのものよりも広く、質は良い。また、今回は違ったが、場合によってはバス二台体制で行くこともあるらしい。
今回のウルムチへのバス旅は、図らずして宿で出会ったポーランド人と一緒に行くことになった。彼は英語が堪能だったこともあって、中国人とカザフ人だらけのぼっち旅よりも気が楽だった。
7時出発ということで、早起きしてポーランド人君と一緒に朝5時半に宿を出たのにも関わらず、相変わらず出発は1時間半遅れた。しかも道中ちょくちょくカザフ人を拾いながら行くのでアルマトイから脱出するまでに結構時間がかかる。
まあでもこの辺は想定の範疇である。
アルマトイから出るとひたすら大きな道を走り続けるだけになるが、一帯一路パワーなのか、舗装はしっかりしていて、全然寝れる。
アルマトイで家具の搬入を手伝わされた(詳しくは下の記事)がゆえに圧倒的寝不足だったので、爆睡である。
(注意:少々汚らしい話になります。)
少し悲惨だったのはトイレ休憩である。
上の写真のような、とにかくだだっ広い荒野を突き進んでいく道中に突如、男女一個ずつのボットン便所が出没する。(上の写真の真ん中に小さく見えるベージュ色の建物である。)
便所内に入ってみると、汲む為のバキュームカーがあまり来ないのか、汚物が相当量溜まっていた。しかもペットボトルを中心にプラスチックゴミが多く捨てられていたので、ほぼゴミ捨て場兼肥溜めというべき場所だった。自分も東南アジアを中心に数多のトイレを見てきた自信が若干あるのだが、汚さで言うと間違いなくトップ3に入る。
が、如何せんカザフ側ではここでしかトイレ休憩がない。
それゆえ、漏れそうな場合は無数のハエにたかられても、覚悟を決めるしかない。
(ポーランド人は諦めていた。)
ちなみに一部の人間は近くの藪に向かっていた。男女を問わずなのが凄い。東南アジアの国でも偶に見かける光景ではあるが、日本人としては女性のたくましさにただただ感嘆するしかない。
国境イミグレ
出発から4、5時間くらい経って国境近辺に到着。
ここから数回のパスポートチェックを受ける。バスを降りてはチェックを受け、また乗って少し移動してから降りてチェック、の繰り返しで、気づいたらカザフ側のイミグレに到着している、といった感じであった。
出国手続き自体はスムーズである。
最後建物から出る時に軍官らしき人物が逐一パスポートチェックをするのだが、これはダル絡みに近い。日本人とポーランド人は名前の確認くらいだったが、特に荷物の多い中国人は、名前だけではなく、いちいち袋を開けさせては閉めさせるの繰り返しだった。コンサートの手荷物検査然り、そのような検査をしていることを行うこと自体に意味がある訳なのだが。
(かなりどうでもいいが中国で良く見かける袋は「编织袋」と呼ぶらしい。アリババに沢山売っていた。)
その後再びバスに乗車。
カザフ側から中国側に向かう道は結構なカーブを描いている。
物流速度を抑えたいのか、それともトラックの大渋滞の範囲を小さくまとめたいのか。まあ、恐らく前者だろうが、謎である。
20〜30分くらいかかってから、中国側のイミグレに到着。
さすがと言ったところか、中国側は各種検査機器が充実していた。
しかも特にその日は指紋認証の新しい技術が導入されたようで、テレビカメラが来ていた。
見た目が明らかに西洋系であるポーランド人くんは、出国手続きが終わった後、撮影用にもう一度検査を受けさせられていたのが面白かった。
ちなみにここでは荷物チェックと共に、スマホとミラーレスカメラの写真チェックがあった。中国・ベトナム国境ではX線検査のみだったので、この辺はウイグルに対して敏感になっている証とも言えるのかもしれない。
自分は昨年春に訪れた広西省・南寧と、ベトナム・ホーチミンのトンネル掘削現場の写真について聞かれたが、検査官は普通に英語が話せたので特に問題はない。
(ちなみに友人に聞いた限り、プロバガンダ系はダメだったらしいので注意。)
こぼれ話:宗教ネタの扱いは慎重に
ここで内輪ネタに近い余談である。 (飛ばしてもらっても構わない。)
この約一週間前に、大学の講義の一環として泊まり込みの演習があったのだが、そこで図らずして和尚を模したコラ画像が生成された。きっかけの話は長くなるので省略するが、まあその場のノリみたいなものである。
水下痢とiPhone水没とその他負の波及効果により、良い思い出があまりなかった演習の中でも、結構思い出深い内容だったので、記念にその画像をスマホにダウンロードしておいた。
しかし、事件は国境で写真チェックがあることをウルムチへ発つ前日に聞いた瞬間に起きた。
「このコラ画像、もしかしてチベットを連想させるもので引っかかるのでは。
てか、捕まるのでは。」
という疑義が生じてしまったのである。
実際には、上のイメージ画像ほどリアリスティックなチベット仏教を連想させる格好ではないのだが、色合いや風格等はそれらしく、何よりそのような価値観に対して非常に敏感な国境なので、引っかかる可能性が少なからずある。
ここで考えた策は二つ。
- 消す。
- 消さないで、聞かれたら答える。
初めは2番の方が単純な語り話のネタとして面白そうだと思ったりもした。
(この時はブログを書くことを1mmも考えていなかった。)
が、流石にリスキーな若気の至りであること、そして何よりここで時間を取られて飛行機をキャンセルせざるを得なくなった時の金銭的損失の大きさを徐々に感じ、結局素直に1番を選択した。
ブログを書くと決めていたら2番を選択していたかもしれないが、果たしてどうなっていたことやら。もしかすると、消去できるかで踏み絵的な確認をされるくらいなのかもしれないし、はたまた少々どこか奥まったところへ連れていかれたのかもしれない。
この時どういう風にこの画像を説明すればいいのだろうか。
と言うか、そもそもコラ画像って英語で何て言うんだ。
妄想は膨らむばかりである。
しかし、何はともあれ、この画像がどのように検査官に映るのかは謎のまま終わった。
皆さんもここの国境を通る際には、カメラに変な画像が入っていないかぜひ確認しておきましょう。
一帯一路の要所・ホルゴス(霍尓果斯)
今日は話が逸れに逸れまくっているので、最後に中国側の国境の町、ホルゴス(霍尓果斯)についてまとめて終わりにしたい。
国境を越えるとバスの運転手が適当に捕まえたタクシーで1kmくらいのバスターミナルに連れていかされた。
バスの運転手は次々とイミグレを通過してくる他の乗客を管理しないといけないようで、結局一緒に乗ったのはウイグル族かカザフ人か分からない若者と自分だけだった。
しかし、このタクシー代、なんと自腹だった。
しかも、この謎の若者が割り勘を拒み続けるのである。
タクシー代はわずか10元だったが、国境のクソレートで換えた30元しか持っていない自分にとっては貴重な現金である。ウルムチに到着後早々にATMを発見できるかどうか分からない状況下では、言葉の壁はあっても、流石にこっちが貴重な人民元の1/3を使って全部支払うのは躊躇わざるを得ない。
しかし、ボディランゲージのみの埒のあかなそうな話し合いに対して、段々とタクシー運転手が苛立ち始め、中国語でまくしたてられ始めた。
そこで「我是日本人」を使って、このまくし立てを一旦止めさせようとした。
これまでの経験からすると、この一文は、ほっと一息つく瞬間を生んでくれる必殺技という認識だった。
が、これが不発どころか、かえって火に油を注ぐ結果となった。
結構本気でキレ始めたので、まあ10元だし、と開き直って、結局自分が全額支払う羽目になった。
(あとでこの割り勘拒否氏に「カザフスタン・テンゲでも良いから少しちょうだい」と何とか伝えたのだが、結局最後まで支払わず、ウルムチに着いた瞬間に逃げられた。
完全なる敗北であった。)
しかし、ドタバタ騒ぎはまだ続く。
バスターミナルに着いたは良いが、撮影用に二度目の検査を実施中のポーランド人くん含め、誰一人バスターミナルに来ない。さらに、割り勘拒否氏も飯を食うみたいなジェスチャーをした後にどっかに行ってしまった。
(飯を食うならそのお金をタクシー代に回せと言いたかったが、言葉の壁は厚い。)
何はともあれ、完全に一人、僻地のバスターミナルに放置されてしまったのである。
しかもこのバスターミナル、僻地すぎて需要がほとんどないのか、全然客がおらず、暇そうなおっさん達がぽつぽつ現れては消えるような虚無感しかない場所だった。
割り勘拒否氏がいなくなってから40分近く経っただろうか、
流石にいたたまれなくなり、街中に出て人探しを兼ねた街歩きを開始した。
ちなみに、ホルゴスの街は古くから交通の要所で、第二次世界大戦後暫くは開いたり閉まったりしていたようだが、1983年から現在に到るまでは一度も閉鎖されておらず、中国・カザフの貿易の拠点となり得るポテンシャルを往々に秘めている場所である。
(注:自分は中国語はこれっきしだが、漢字なのでなんとか解読可能である。)
しかし、数年前の経済特区指定までは大規模開発はされていなかったようで、国境にだいぶ近いエリアにも食堂や薬局など、小規模商店が軒を連ねていた。経済特区のメインエリアはだいぶ国境に近い所にあるので、中国・カザフの二国間関係が急激に良くならない限りは、これらの個人経営店がすぐになくなるようなことは無いのだろう。
街の規模感で言うと、基本的に国境近くの霍尔果斯口岸国际商贸中心周辺と、メインストリートである「亚欧北路」 沿いくらいしか大規模開発はなされておらず、中国全土で比較しても、せいぜいちょっとした地方都市といったところであろう。
だらだらぶらぶらし始めて20分くらいしたら、雨が降ってきた。
もう少し街歩きをしたかったところだが、無念のリタイアである。
仕方がなくバスターミナルに試しに戻ってみると、そこにはポーランド人くんをはじめとする見覚えのある集団が集まっていた。
とりあえず一安心。
その後まもなくしてバスはホルゴスを出発。
再びウルムチまでの終わりがいつなのか分からないバス旅が始まった。
一帯一路の重要拠点であるホルゴスは、公安を視界に入れなければ、ここが中国の端っこであることを忘れてしまうくらい、整然とした街であった。