「猿岩石ルート」最後の砦、ミャンマー西側国境ーアジアハイウェイを模索する(6)
昨日のブログではミャンマーの東側、中国・ラオス・タイとの国境地帯における、麻薬にUWSAのようなゲリラ組織、難民問題について簡単にまとめた。
さて、今日はその反対側、インドとバングラデシュとの国境についてまとめていきたいと思う。
言わずと知れたロヒンギャ難民
ミャンマー・バングラデシュ国境における一番の課題と言えば、言わずと知れたロヒンギャ難民問題であろう。
ロヒンギャとは、ミャンマーが以前イギリス領であった時代に隣国からやって来たベンガル人であるロヒンギャ族が、ミャンマー国内でもバングラデシュ国内でも民族として認められずに現在に至ってしまっている、という問題である。
この問題はとにかくあらゆる情報が錯綜し、ドツボにはまってしまっている状態である為、このブログで深く紹介することはできない。
ただ一つ言えることは、このミャンマー・バングラデシュ国境地帯の状況が改善され、アジアハイウェイのような大規模幹線道路が完成するのが相当先の話であることは間違いない。
「猿岩石」最後の砦、ミャンマー・インド国境
ユーラシア大陸横断を考える際、中国やロシアを通るルートを設定すると、どうしても長距離電車を使う手段を考えざるを得ない。
それゆえ、出来るだけ長距離電車に頼らず、現地の生活をチミチミと見ながら目指したい人間がまず第一に考えるのは東南アジアを通るルートである。
しかしながら、その一番の壁として機能していたのが鎖国状態を続けていたミャンマーである。
ユーラシア大陸横断ルートとして有名なものとして、お笑いコンビ猿岩石がヒッチハイクで行なった、通称「猿岩石ルート」がある。
今では毒舌キャラとして、また司会者として腕をふるっている有吉が若かりし頃に、今と違ってかなり道が劣悪な条件であるのに、さらにヒッチハイクと言うかなり無謀な挑戦をしていたことを知ると、身を持って体験していることもあってかなり尊敬できる部分が大きい。
しかし、そのような無謀さが仇となって、バラエティと言う範疇であることを超えて、所々のフィクション気味の「ボロ」がバックパッカーを中心に指摘されるようになった。
その中の一つが、上のようなルートでミャンマーを陸路で通過することができないという点であり、その指摘に対しては後日談としてミャンマー区間に関して飛行機を使っていたことを認めている。
すなわち、「猿岩石ルート」は当時は完全に再現することが不可能な、ある意味フィクションのようなものであったのである。
しかし、状況が変わり始めたのは2013年、ミャンマー・タイ国境が第三国の人間に開放され始めたのである。
そして、そこから僅か2年ほど後にミャンマー・インド国境もパーミットなしでの開放が実施され、ついに猿岩石がノンフィクションの世界で実現可能となった。
なお、このミャンマー・インド国境付近は、第二次世界大戦期において日本軍最悪の作戦とも呼ばれている「インパール作戦」の地であったこともあり、国境開放はその跡を追うことも可能となったと言う意味でも注目された。
のだが、開放から一年も経たないくらいで、インド東北部にて大規模な地震が発生し、再閉鎖となってしまった。
それから約3年。
ついに昨年の8月に再開放が実施された_____
そして、明日からこの国境を目指す旅を始める。
明日は折角なので、旅の前の簡単な意気込み等について手前味噌な自分語りをしたいと思います。